2010年8月10日火曜日

明石小学校のすごいトコ④

またしてシミズですー

いよいよ8月も10日です、、、
新聞テレビwebニュース散々取り上げられていただき
ものすごく署名もふえたというのに。
何も音沙汰なく10日です、、、


でも。でも、言い続けます。

今回の明石小学校のすごいトコは・・・


明石小学校は戦火を避け戦中を乗越えた!


この季節になると、日本の忘れてはいけない歴史として
様々な形で取り上げられる戦争時代のエピソード。
経験あるなしにかかわらず、日本人の心に刷り込まれている記録。

わたくしは戦争を経験しておりませんが、
明石小学校は第二次世界大戦の渦中で東京大空襲も見てきました。
そして、聖路加国際病院の隣にあったおかげで
戦火も免れ現役でがんばっているのです。
すぐ隣町は一面の焼け野原になっていた中、です。

戦中、戦後の明石小学校でのエピソードは無数にあり、
聖路加病院に入りきれなかった外国人兵士を受け入れていたり、
GHQの管下におかれてチョコレートを貰った先輩のお話など
歴史小説の舞台になりそうなほどです。
今日は東京大空襲の際、明石小学校に避難に来たお父様の
お話をされた方にお目にかかりました。
泣きそうでした。


そんなわけで、明石小学校が復興小学校の中でも
保存状態が良く歳月を重ねてきたのですね。
その凛とした佇まいは、多くの方の支持を得て
たくさんの署名が集まっているのもうなずけます。


すでに改築予定ですので仮校舎も出来上がっているようですが
ちょっと普通ではないな、とさえ感じるその圧倒的な意匠的建築が
本当に壊されちゃうのかな?なんだか信じがたいのです。

お向かいに在る、築地教会と一緒に町を形づくっていたのに。
外国人居留区の町並みを残すプライドを持つ明石小学校。
戦後65年経つ8月、、このものすごく風化の早い時代の中で、
今既に85年を迎えることなるかもしれない存在。


「OLD BUT NOT BAD」


今一度考えて欲しいです。


投稿者シミズ

1 件のコメント:

  1. 今日の東京新聞、日刊と夕刊両方に取り上げられているそうですよ。
    明石が重文相当という見解に至った一つの理由が、
    シミズさんの書いてくれてる「火が入らなかった」というところだそうです。
    やはり堅牢な復興小、戦災でも全壊した学校はあまり聞かないということですが、
    焼夷弾とかで、内部の木の部分や窓部分などがやられちゃったそうです。。。
    明石は旧外国人居留地だったから、聖路加もあったし外国人からの知名度が高かったし、
    居留地じゃなくなった後も外国人が住んでいたことが幸運だったよねー。

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