2010年11月16日火曜日

企画やります!

超ご無沙汰です。ツチヤです。

私事やら何やらで随分ご無沙汰してます。。。スミマセン。

明石の活動も終戦。。。。とおもっている方々も多いかと思います。

でも、まだ終わってないんです。

しかし、水面下では着々と仲間も増え(というか、新聞やテレビに取り上げられる度に増えに増え)、

9月には、明石小学校校舎に在りし日の美しき明石小を投影するというイベントも行い、

そして、今週土曜日より、またまた、企画を行います!

「明石小学校と復興小学校の今 」

今回はこんな感じのテーマで、現役の復興小学校たちも出演&今回は映像関係の方にも協力いただき、

つきじTASSギャラリー http://www.g-wakamatsuya.com/gallery.html
11/20(土)〜11/23(火)  初日は12時より、会期中は11時〜18時、最終日は17時までです

そして、銀座一丁目の 奥野ビル内 ギャラリー403
http://geiriki.com/ba/detail.cgi?id=10000918
※オフィシャルでないです。
こちらは 11/21(日)/11/23(火) の2日開催です!  時間は11時〜18時半です。

ともに、明石の映像、そして現役小学校・復興小★オールスターズも登場です!

例えば、自分の家の近所や会社の近く、ふるさとの風景。

そこにかつてあったものが、こわされ、無くなったとき、

思い出すことは出来ますか?
思い出せなくなった、「かつてあった風景」。そんなものが多くなったと思いませんか?

急いで、単純な利便性を求めるまま、曖昧な理由のママに大事なものをないがしろにしたまま、風景が失われてゆく。。。。

自分が今回、この活動に関わったことは、前にも書いたと思いますが、その流れへの「?」からでした。

そしてそんな考えを多くの人に話しましたが、驚く程に多くの人が賛同して下さいました。
ワタクシ達の活動には、政治的バックボーンも、宗教的なバックボーンも、ましてやスポンサーもありません。

いや、多くの個人や、地元の方々、プロの研究者の方、建築関係の方、デザイン事務所、ギャラリー関係の方、イラストレーターさん、デザイナーさん、、、、、そんな方々がまさに「手弁当」「徒手空拳」で参加して下さいました。


きっと会場の展示では分かりませんが、、、(笑)。そうした人達へのお礼の意味も込められた、今回の展示、是非、見に来て下さい!

よろしくです!

2010年9月1日水曜日

明石小学校のすごいトコ⑤

9月1日防災の日。

明石小学校は100歳以上の歴史を持つ歴史ある学校ですが
現在の校舎は関東大震災後に作られた復興小学校です。

その復興小学校たる所以の関東大震災が起こった防災の火に
また改めて思いを伝えたく。


なんと古いながらにも

明石小学校は安全性が高いのだーーーっ



なんだかお江戸下町風の物言いですが~

役人さん職人さんの心意気で建立されました!
震災がやってきても、子供達を守れるような学校を、
と願いを込めて作られたのです。

再度記述致しますが、現在の明石小学校校舎は
関東大震災後に建立されました。
大正15年、昭和初年の1912年です。
大正12年、関東大震災の後、震災に負けず
なんとしても子供達を守るべく新校舎が建てられた!


明石小学校は幸い中央区では割合と広い敷地に建立することができて、
校庭も広い
そこでコの字型の校舎を広く使うことができます。
校庭までの避難が運動能力の低い子供達でも容易であるのは
低層を可能にするコの字型の造りのおかげですの。

そして階段。
近代の学校建築に比べると幅が広く設計されており、
当然避難の速度が上がりますよね。
さらには階段が各所にあり、四方向から中心の校庭に向って
上層部が部が詰まりにくくなることなく、
速やかに避難可能なのですよー

考えても見てください。
大人ならまだしも子供達が高層の建物で順繰り避難せざるを得ないなんて、
これまずですょね。
今度できるのは四角い5階建てだそうですけども。


でもってそれを形にしてくださった職人さんたちのお仕事。
なんとコンクリートを人力で練ったそうなのです。
お伺いしたところによると、それはもの凄い労力の結晶なのですが
実際水分を多く含んでしまうマシーンでの作業より
より強固なものを作ることが実現されたそうなのです。
所謂職人技であり、感ってやつですね。

だから丈夫で長持ち、戦火も免れたことも重なって
状態が非常によいとされるのですね。
昨今地方で分権されているのですが、
当時の復興小学校は震災後の国家プロジェクト
あっちやらこっちやらから職人さんたちを集めに集めてできた
待望の安全な校舎!
ちなみに、当時は伝染病対策も考慮されており、健康面の安全性も抜群でした。


先日8月28日に84回目のお誕生日を迎えました。


改築を余儀なくさせられている今ですが
戦後復興時代やらバブルやらも終わってますよね。
やれそれ、壊して作れの時代とか。
賢くないですが、正直、
経済を回し豊かな街づくりを目指して欲しい一方、
多角的になんとか察せる中年になりました。
しかしながら稀有な歴史的建造物を守る、
という観点で見ざるを得ないほどの魅力を持ってると思ってしまう。
お金に代えられない価値があるってやつです。

ま、重要文化財級の建築物ですから、専門的にはまだまだいろいろですが。

すごいぞ明石校舎!です。


わたくしのわたくし的な文化的意識を培ったのは
そもそもわが町中央区でした。


「OLD BUT NOT BAD」

校門の取り壊しが始まってしまいました・・・
が、まだ間に合います


投稿者 シミズ

2010年8月12日木曜日

反響続々。

ご無沙汰してます。カイチョー・ツチヤです。

皆さん、先の日曜、「噂の!東京マガジン」内の『噂の現場』見て下さいましたでしょうか?

取材が急遽入る、という話は地元の卒業生より聞いてましたが、まさか、あんなに時間を割いて放送してくれるとは、、
こういっては何ですが、民放らしく、バラエティ的な要素(卒業生であるオードリー・若林君がでてくれたり)もありましたが、

分かりやすく纏めてくれるとこは、さすがプロです。

翌日には、テレビ朝日系「ス-パーJチャンネル」でも放映。10日の東京新聞でも、大々的に紹介されました。

「保存を望む会」のページは、アクセスが急激に伸び、10000を軽々突破〜。応援メール、署名も続々頂いています。
 ツイッター(♯akashi_hozon)も東京マガジン放送日は、アクセスランキングに入るくらい、いったそうで。。。


 建物の保存に限らず、例えば、ダムの建設、飛行場の設立など、全国でもいろいろと地域同士の対立や自治体vs地域民という対立の構図が浮き彫りになっていたりしますが、かつて、テレビの前で自分が視聴者だったときは「なんで、もっと早く分からなかったんだ?立て替えとか誘致とかって」って、疑問に思ってましたが、

 今回の「明石保存活動」に関わって、よく分かりました。

「あまりに情報公開が少ない」ということです。前に散々書いた通り、地元の近隣の方々でもよく「取り壊し」の事実を知らない。
たしかに、何か大きいことを進める際には、色々な意見や利害が絡まり、時として全く物事が進まなくなることが多々生じます。
 どこかで、決断をして遂行しなければならないこともよくわかります。

 とはいえ、やはり、今回のケースは「情報公開が少ない。少な過ぎる」のです。

 手前味噌っぽいですが、こうした活動を行わなかったら、明石小学校が重文クラスであり、建築史・地域史的に見ても大変貴重なものだと、多くの方が分からなかったのでは無いかと思ってます。色々の方々のご尽力でこの事実が分かりましたが、ワタクシは卒業生のくせに知りませんでした。自分が在校している前の貴重な歴史も、同様です。卒業生にお話しして頂けるまで、知りませんでした。

 そうした事実を「取り壊したい」側は知っていたのでしょうか?

 解体に向けた作業が着々と進んでいるようですが、まだ、間に合うのです。

 予算を組んだから、終わり、では無く、貴重な歴史的価値のあるもの、教育にも役立てることが出来るもの、地域の歴史を後世に伝えるものを残して下さい。。。。。。。

2010年8月10日火曜日

明石小学校のすごいトコ④

またしてシミズですー

いよいよ8月も10日です、、、
新聞テレビwebニュース散々取り上げられていただき
ものすごく署名もふえたというのに。
何も音沙汰なく10日です、、、


でも。でも、言い続けます。

今回の明石小学校のすごいトコは・・・


明石小学校は戦火を避け戦中を乗越えた!


この季節になると、日本の忘れてはいけない歴史として
様々な形で取り上げられる戦争時代のエピソード。
経験あるなしにかかわらず、日本人の心に刷り込まれている記録。

わたくしは戦争を経験しておりませんが、
明石小学校は第二次世界大戦の渦中で東京大空襲も見てきました。
そして、聖路加国際病院の隣にあったおかげで
戦火も免れ現役でがんばっているのです。
すぐ隣町は一面の焼け野原になっていた中、です。

戦中、戦後の明石小学校でのエピソードは無数にあり、
聖路加病院に入りきれなかった外国人兵士を受け入れていたり、
GHQの管下におかれてチョコレートを貰った先輩のお話など
歴史小説の舞台になりそうなほどです。
今日は東京大空襲の際、明石小学校に避難に来たお父様の
お話をされた方にお目にかかりました。
泣きそうでした。


そんなわけで、明石小学校が復興小学校の中でも
保存状態が良く歳月を重ねてきたのですね。
その凛とした佇まいは、多くの方の支持を得て
たくさんの署名が集まっているのもうなずけます。


すでに改築予定ですので仮校舎も出来上がっているようですが
ちょっと普通ではないな、とさえ感じるその圧倒的な意匠的建築が
本当に壊されちゃうのかな?なんだか信じがたいのです。

お向かいに在る、築地教会と一緒に町を形づくっていたのに。
外国人居留区の町並みを残すプライドを持つ明石小学校。
戦後65年経つ8月、、このものすごく風化の早い時代の中で、
今既に85年を迎えることなるかもしれない存在。


「OLD BUT NOT BAD」


今一度考えて欲しいです。


投稿者シミズ

2010年8月2日月曜日

卒業生のことば。

ご無沙汰してます。カイチョー/ツチヤです。

暑いっすね。。。
で、卒業生の思いも、まだまだ熱い!そんな小咄です。。。

我々の明石卒業生世代(昭和40年代後半)には、「親子2代明石」「親子孫3代明石」「親・兄弟みんな明石」多いんです。

きっと他の世代の方々もおおいでしょうな。。
で、先日、同級生のお母さんで、ズッと中央区在住の方と色々と話をする機会がありました。当然「明石LOVE」で、この活動も色々ときにかけて下さってます。

その方の姉も明石。2人の子供も明石。で、ずっと明石小学校の学区内に住んでます。

で、お約束ですが、このかたも「明石取り壊し」を知りませんでした。何度でもいいますが、区の「近隣などの同意を得た」ッていうのはどの辺を指すんですかね?
ちなみに、この方、近隣にも署名等のお願いでいろいろ動いて下さったんですが、近隣の方、見事に知りませんでした。と。

この方のお姉さんも、明石の話を聞いて、当時のことをすぐに思い出してくれたそうです。

「窓が大きくて、階段も広くて、避難訓練もやったけど、3分くらいで校庭に全生徒が出て行かれるんだよね」と。
我々のやったことと、覚えている記憶と全く同じ。。。。。

こういう繋いで来た思い出が、消えるかもしれないのです。ココを良く見て下さっている方はお分かりかと思いますが、断じて「懐かしい」だけで我々もやっている訳ではないのです。
もちろん、そんな気持ちもありますが、、、

 これを書いていると、ふと、NHKの番組で、「世界音楽紀行」だと思いますが、、、ウィーンの街。

「ベートベンが交響曲〜を書いた家」「ベートベンが遺書を書いた家」。。。全てが残っています。後の世に伝えられ、大事にされ、現在の街の中に、今を行きている人の中に、一緒にいるのです。

残す。繋げる。伝える。こういうことではないかと思います。

いいたくないですが、残された時間は少ないのかもしれません。

愚行ではなく、区の英断を期待します。

2010年7月25日日曜日

明石小学校のすごいトコ③

こんにちは~



知れば知るほど明石小学校はすごいのね~
新聞テレビ雑誌、マスコミにもどんどん取り上げあられているみたい。


今回の明石小学校のすごいトコは・・・

明石小学校の天井はスケルトン!


配管がむき出しの天井はとっても高くて開放感あふれています。
まるでリノベーションをしたNYのoldnewな建築物みたい)^o^(
そうとうなおしゃれ小学校でしょ、これ。


安全性は問題ないのかな?と思いプロの方にお伺いしたところ、
単純に隠すか隠さないかだけの問題で、
でむしろ天井を貼って配管を隠しても、
その天井が落ちてくる可能性が高くなる分危険性が高まるのだとか。
ま、レア中のレアケースでしょうけどもないわけではないらしー

それにメンテも容易になるし、
なんといっても天井が高く圧迫感が少ない校舎で
教育を受けることができますよね。

実にユニークで誇れるポイント


中身はハイテク、建物は歴史ある重厚感をもつ
モダンな明石小学校きぼー!(^^)!


そして、今ちょーど明石小学校の児童の皆さんや、
これから明石小学校に入学する予定の子供達に
あのとき、そーいや守りきれなかったな~
みたいな後悔をさせたくないかも。

大人になったわたくしも、もしかしてそんな後悔をすることに
ならないように努力しているのですしね~



明石小学校の校歌にこんなサビがあります~

なーつーかーしーや~
あーかーし~~~


未来の卒業生の後輩ちゃんたちにも
懐かしく尊ぶことの出来る校舎の保存を期待なのデス!



「OLD BUT NOT BAD」

でしょ(^_-)-☆

2010年7月22日木曜日

NHK見ました?

超ご無沙汰しております。カイチョー・ツチヤです。

先の銀座での展示以降、、私事やらなんやらで、ご無沙汰しておりました。。。って、言い訳ですね。。。。

もう、天下り財団とかの、「名誉会長」ほどですわ。。。。自分の一番嫌いな人種に。。。。。


と、そんな中でも、多くの明石校舎サポーターズが動いてくれていたんです!

例えば、署名。この建て替え/保存の活動は、やればやるほど、「皆に知られてない」ということが分かりました。
いやホントに、個人的にズッと思ってたんだけど、「いつ、決まってたの?」って感じです。こんな大事な問題を。子供達だけじゃなくて、地域にも関わる大きな出来ごとなのに。

で、これを知ってもらうこと。賛同してもらうこと。
で、どうやら1000名?すごいペースで集まったみたい。
で、そこで知ってくれた皆さんが、ツイッターとか、署名を集めて下さったり、広がってくれるのです。。。



そして今日は、NHK!
夜20:45分からの首都圏ニュースで、「保存を望む会」の署名提出の様子が放送されました!

ご覧頂いたかたもおおいと思います。ツイッターでも急遽の出来事にもかかわらず、皆さんが広めて下さいました。
(♯akashi_hozonで!チェックしてみて下さい)

先日、建築学会より、2回目の保存要望書を中央区に提出頂きました。

重要文化財クラスの価値があるという、この建物。
「決まったことだから」と、突き放す様な方向の区の対応はホントに残念です。

「決まったこと」そこに対し、多くの「?」が突き付けられています。
区民や建築関係等の専門家、歴史や教育の立場の方々、地元も地元、子供を明石小学校に通わせている世代。そして、卒業生たち。。。。。


その声がどのくらい届いているのか。。。。。。